棟方志功

Shiko Munakata
棟方志功「アメリカのミミズクの柵」

棟方志功「アメリカのミミズクの柵」

棟方志功「あわれ黒富士の柵」

棟方志功「あわれ黒富士の柵」

棟方志功「双天妃図」

棟方志功「双天妃図」

棟方志功「金富士の柵」

棟方志功「金富士の柵」

棟方志功「青天の柵」

棟方志功「青天の柵」

棟方志功「日没の柵」

棟方志功「日没の柵」

棟方志功「濡髪妃の柵」

棟方志功「濡髪妃の柵」

棟方志功「萬朶譜ー藤の柵」

棟方志功「萬朶譜ー藤の柵」

棟方志功「韋駄天の棚」

棟方志功「韋駄天の棚」

棟方志功についてAbout Shiko Munakata

  • 1903年青森市大町に生まれる
  • 1916年青森市長嶋尋常小学校を卒業。実家の鍛冶職を手伝う
  • 1924年絵の修業のため、上京
  • 1928年平塚運一に会い版画の道に入る。油絵展で帝展に初入選
  • 1936年「釈迦十大弟子」を制作。翌年国画会展に出品し佐分賞を受賞
  • 1951年9月、スイスのルガノ国際版画展で優秀賞を受賞
  • 1956年イタリア・ヴェネツィアビエンナーレ国際美術展にて国際版画大賞を受賞
  • 1959年秩ロックフェラー財団らの招待で渡米。ニューヨーク、ボストンなど6都市で講義と個展を開催
  • 1960年年初より眼疾すすみ、秋には左目ほとんど失明する
  • 1970年1月、毎日芸術大賞を受賞。11月、文化勲章を受章、文化功労者に指定される
  • 1975年4月、日展常任理事となる9月、東京都杉並区上荻の自宅で肝臓がんのため死去(享年72歳)
棟方志功の世界観

ダイナミックな造形美、みなぎるばかりの生命力。「世界のムナカタ」と称される棟方志功の作品には、骨太で力強い「独創」の世界があります。
その作品はどれも、誰が観ても棟方志功の作品だと分かるものです。尊敬してやまなかったゴッホにも通じる独創性。そして、観る者の心を揺さぶる力が作品に漲っています。
また、色彩板画や肉筆画には、棟方志功の素晴らしい色彩感覚が存分に発揮されています。
朱、赤、青、緑……と、その色彩感覚は鮮烈で、観る者の心を引き付けて離しません。
棟方志功は、版画を「版」ではなく「板」と書いて「板画(はんが)」、肉筆画を「倭画(やまとえ)」と称しています。そして、作品名が「○○柵」なら「板画」、「○○図」なら「倭画」です。

倭画の世界

棟方志功の肉筆画は、細部まで丁寧に描かれておらず、太い線でささっと描かれただけです。しかし、対象の本質やイメージが観る者にしっかりと伝わるフォルムと色使いで描かれているため、描かれたものには、そこに生きているような生命力があるのです。
棟方志功は、肉筆画を描くのも好きでした。特に油絵は好きだったようです。絵の具が飛び散るほど勢いよく筆を走らせています。
「肉筆画は筆が勝手に動き出す、油絵を描いているときが一番楽しい」と、棟方志功は語っています。

版画から「板画」へ

棟方志功も若い頃は、西洋画家を目指していました。しかし、極度の近眼で、絵に奥行きがでません。だからこそ、板画だったのです。棟方志功は決意します。

世界のムナカタ

日本国内のみならず、海外でも棟方志功は高く評価されました。
1952 (昭和27)年4月、スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞。

棟方志功「アメリカのミミズクの柵」

棟方志功「アメリカのミミズクの柵」

棟方志功「あわれ黒富士の柵」

棟方志功「あわれ黒富士の柵」

棟方志功「双天妃図」

棟方志功「双天妃図」

棟方志功「金富士の柵」

棟方志功「金富士の柵」

棟方志功「青天の柵」

棟方志功「青天の柵」

棟方志功「日没の柵」

棟方志功「日没の柵」

棟方志功「濡髪妃の柵」

棟方志功「濡髪妃の柵」

棟方志功「萬朶譜ー藤の柵」

棟方志功「萬朶譜ー藤の柵」

棟方志功「韋駄天の棚」

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