1864年 | 京都に生まれる。 |
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1877年 | 土田英林に師事し、絵画修業を始める。 |
1881年 | 幸野楳嶺の門人となる。「棲鳳」の雅号を受ける。 |
1882年 | 第1回内国絵画共進会で「雁に双鶴」「瀑布」が入選。以後、多くの内外博覧会や共進会で受賞。 |
1887年 | 京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了。 |
1892年 | 京都市美術工芸展に出品した作品が円山、四条、狩野三派の筆意がみられるとし て「鵺派」という評を受ける。 |
1900年 | 渡欧、翌年帰国して栖鳳と号した。 |
1907年 | 第一回文展審査員。 |
1913年 | 帝室技芸員に任命される。 |
1909年 | 京都市立絵画専門学校教授。 |
1924年 | フランス政府より勲章シュバリエ・ド・ラ・レジョン・ドヌールを贈られる。 |
1931年 | 5月、ハンガリー最高美術賞を贈られる。 |
1933年 | ドイツ政府よりゲーテ名誉賞を贈られる。 |
1937年 | 第一回文化勲章を受章。 芸術院会員となる。 |
1942年 | 8月23日湯河原の山桃庵にて逝去。 |