1889年 | 岡山県笠岡市西本町に生まれ、英吉と命名される。 |
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1903年 | 京都に上り竹内栖鳳に師事。 |
1905年 | 栖鳳宅の寄宿生となり「竹橋(ちっきょう)」の雅号をもらう。 |
1909年 | 京都市立絵画専門学校別科に入学。 |
1916年 | 第10回文展に《島二作(しまにさく)》が特選。 |
1918年 | 土田麦僊、榊原紫峰らと国画創作協会を設立。 第1回展に《波切村(なきりむら)》出品。 |
1921年 | 土田麦僊らとともに渡欧、パリにて越年。 |
1922年 | 1月から3月にかけて、イタリア、スペイン、イギリスを訪れて5月に帰国。 |
1923年 | 雅号を「竹喬」と改める。 |
1928年 | 第7回国展に《冬日帖(とうじつちょう)》を出品。 国画創作協会解散。 |
1929年 | 帝国美術院推薦となる。 |
1936年 | 新文展審査員に任命される。 |
1947年 | 京都市美術専門学校教授に就任(~28年)。 日本芸術院会員に任命される。 |
1950年 | 京都市立美術大学教授に就任。 |
1958年 | 社団法人日展の発足にあたり、常務理事となる。 |
1966年 | 笠岡市名誉市民となる。 |
1968年 | 文化功労者の表彰を受ける。 |
1976年 | 「奥の細道句抄絵」を開催。 文化勲章を受章。 |
1979年 | 京都にて死去。享年89歳。 |