1920年 | 新潟県西蒲原郡吉田町に生まれる。 |
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1934年 | 吉田尋常高等小学校高等科を卒業、上京して画家をめざす。 |
1939年 | 川端画学校に学ぶ。 |
1940年 | 第12回青龍社展に「渡舟場」が初入選。その後応召、中国大陸各地を転戦する。 |
1945年 | 終戦と同時にシベリア(カザフ共和国)カラガンダの収容所に抑留され、石炭採掘に従事する。 |
1950年 | 復員。第22回青龍社展に「カラガンダの印象」を出品する。 |
1956年 | 「炎炎桜島」を第28回青龍社展に出品する。 |
1957年 | 「塔」を第29回青龍社展に出品、奨励賞を受賞する。 |
1961年 | 「富士雷鳴」を第2回轟会展に出品する。 |
1962年 | 「十勝岳」を第34回青龍社展に出品、 作品が大きすぎるという理由で縮小を求められ、これを契機に青龍社を脱退する。 |
1963年 | 「瀟湘八景」などを横山操屏風絵展に出品する。 |
1965年 | 多摩美術大学教授となる。 |
1968年 | 越路十景展(彩壺堂画廊)。 |
1971年 | 脳卒中で倒れ、右半身不随となる。 |
1973年 | 再び脳卒中で倒れ、4月1日、東京で没。 |